鴨林軒ハテナ支店

文芸同人の鴨林軒です。

【小説】言い訳(唐桶つばめ)

 

 ため息をついてスマホの画面を閉じる。提出予定日を超過しているにもかかわらず一切の連絡もよこさないとは、どうやら完全に無視を決め込む算段のようだ。

 ラインで何度連絡を取ろうとしても既読無視を繰り返し、電話にも一切応じるつもりはないらしい。こちらは予定に合わせて動きたいというのに、と本当に嫌気がさす。

 どんな物事でも足を引っ張る人がいたら全て台無しになってしまうものだ。そして、その「足を引っ張る人」として真っ先に名前を挙げるとしたら彼だろうと前々から思っていたが、見事に的中したみたいだ。どうせ当たるなら競馬とか宝くじの方がよかったのだが。 

 幸いにしてこの世界では、ここと彼の住まいとの距離は数百メートルほど。問題なく一日で往復できる距離だ。ならば催促しに行った方がいいか、と重い腰を起こして向かうこと数分、汚いアパートの呼び鈴に指を伸ばして、ようやくお目当ての人物と対面することができたのである。

「おう、丁度良かった」

「なにが丁度良いだ。こちらは無駄な体力を使う羽目になって最悪だよ」

「まあいいじゃないか。なにせ小説という体裁を取る関係上、登場人物が一人だというのはあまりにも寂しすぎる。まあどうせ今のところ君はここから先本筋には関わらない予定だから、君の苦労はここまでさ」

 調子よさげにぺらぺらとしゃべる彼のことは無視して勝手に部屋の中へと上がらせてもらう。相変わらず荷物の入った段ボールは放置されていて、ぐしゃぐしゃに丸まったままの布団は彼のずぼらな性格を想起させた。

「で、今回の担当分は終わったのか? 当然、期限は十分にとったんだし、さぞかし立派な作品が完成している頃合いだと思うんだが」

「はぁ? こんなテーマ難しすぎて俺にはきついって。そもそも、悩み事なんて春(エ)楡(ルム)の木々を見ていたらすっ飛んで行ってしまうんだもの」

 どうしてここまで人を待たせておいてそんな悠長な態度がとれるのかと思わず嘆息してしまう。まあ、こいつはよく人が来るくせに客人に出す用の座布団一枚すら買おうとしないやつだ。並の精神の人間には理解なんてできっこないだろう。どうしてこんなやつをこの企画に誘ったのかと過去の自分を叱り飛ばしたくなるが、今更悔やんだ所で仕方がない。兎にも角にも今回はこいつの分も含めて回す予定なのだから、原稿は書いてもらわないと。

「はぁ……。まあこうやって字数を稼いでくれたことは感謝するぜ親友。そろそろ本題に触れないと、わざわざこいつに目を通してくれた人も企画の発起人も困惑するだけだからな。そうだなぁ、じゃあ“自分が落単しないかが怖い”ってことにしておくか」

「張り倒すぞお前」

「だってさぁ、大学生が一番怖がることって単位落として留年するかってところじゃね。俺なんてこの前提出期限の11秒前に出したんだぞ。それ以外にも出してない課題とかそろそろ指の数に収まりきらなくなりそうだし。落単しないギリギリのライン教えてくれたらこんな心配しなくて済むんじゃねぇかなぁ」

「それは大学生の心構えとして最悪なんじゃないか? こうして人生最後の自由な期間をもらっておいてそう浪費するというのはもったいない気がするが」

「よくもまぁ“自分”にむかってそう優等生な注意の仕方ができるな兄弟。まあ確かにそうは思うんだがな、うーん、そうだなぁ。心配って言ったら、やっぱり、こう……腐ったまま大人を迎えちゃうんじゃないかってことになるのかね。……まあでもこの企画で俺の話をするのは筋違いな気がするからこれくらいにしとくか」

「まあ確かにそんなもんテーマ作品です! だなんて提出されたら卒倒しそうだわ」

「よし、じゃあ俺がこれから小説を書く上で心配というかなんというかなことについてでも書くか。うん、まあ俺が小説を書いていく中で懸念しているのは『登場人物を演じきれるか』っていうところだ」

「というと?」

 彼は大きく息を吐くと、水垢のついたコップに水道水をくんで、唇をつけた。

「実をいうとな、俺は設定のあるキャラクターを小説で書くことが苦手だ。今現在だってこうやってロクに設定も口調もない男二人を動かして文章を進めているわけだし」

「はぁ? それってそんなに気にすることか?」

「あたぼーよ。設定とか口調とかがあると書いている文章でいちいち『この口調でキャラクターをちゃんと再現できてるんかな』とか『こいつってそもそもこんな行動取るかなぁ』とか考えなきゃいけなくなって大変じゃん。特に二次創作を書くのが難しくてなぁ。いちいち『こいつは口調をお嬢様らしく』とか『こいつは発言内容を基本的に弱気そうな感じにして』とか考えてると疲れちゃってさ。さらに、書ける内容っていうのは作者の頭の中以上は広がりようがない。だから俺が書く小説の女性は女性らしく化粧とか香水とか使うことができないし、どうしても“男性らしさ”のある人物に仕上がってしまう。つまり俺がいまワードで出力しているキャラクターは果たして『そのキャラクターそのもの』なのかそれとも『そいつのガワを借りて喋ってるだけの俺』なのかが気になっちゃって」

「はぁ」

「長すぎる独白を切るナイスな相槌に感謝するぜ。まあ俺個人としてはできる限り生き生きとしたありのままのキャラクターを描きたいから頑張りたいんだけど。やっぱそれにも限界があるし。そもそも細かい内面描写とか苦手だぜ俺。腕のある作家を見分けるうえでそこは重要だよな。やっぱり凄い人は一瞬を切り取って瞳の揺れだとか肌の輝きだとかの描写を全くの違和感なく入れ込むんだぜ、素直にすごいよな」

「……なんかテーマとずれてる気がするんだが気のせいか?」

「しゃーないだろ。元々はある友人を題材に書くつもりだっただがそれはやっぱまずいとこもあるし、そもそも“俺が書く”以上そいつの内面は俺の想像でしか書けないからな。やっぱりずれが生まれちゃうわけで。まぁ、そろそろキリもいいしここで終わりにするか」

「なぁ、最後に一ついいか? “お前”って普段“俺”なんて一人称使うっけ」

「……使わないな。だって“俺”って結構勢いがあって語感がよくなるじゃん。口に出したときにすっきりと朗読できるかを結構重視する俺にとっては一番重要なんだよ」

「はぁ……、随分と不思議なこだわりだな」

 先ほどまでリズムよくキーボードを叩いていた指が止まり、一仕事を終えたサラリーマンの様に彼は肩をほぐしている。

「ほらよ」

 乱暴に投げつけられたものを受け取ると、それは中学の頃に学校から配布されたUSBだった。長年使われ続けたことで模様の消えかけているそれを握りなおした後、無造作にポケットに入れた。

「じゃ、今度はやりやすいテーマにしてくれ」

「お前さんには遠慮ってものがないのか。まったく」

「俺がそういう人間だったら今頃優等生で通ってるわ」

 ほらほら帰った帰った、と言わんばかりに右手をひらひらと振る彼を睨みつつ、服装を整えながら玄関へと向かう。

「なぁ」

「ん」

「また来てくれよな」

 そう言ってにニカっと笑みを浮かべる彼に思わずため息を吐いてしまうが、ヤツは一切悪びれる様子はない。まあ昔からこんなヤツだというのは自分でも知っているが。

「そういえば」

 帰ろうとドアに手をかけたところで、ヤツは思い出したように声をあげた。

「どこかの作者さんも、当日に友人からのLINEを受け取ってはじめて投稿期限を思い出したらしいぜ」

「あほだな」

 どこか遠くにいるそいつの取り立て役の苦労に同情して、思わず両手を合わせて嘆息した。