鴨林軒ハテナ支店

文芸同人の鴨林軒です。

【戯曲】饗宴 第一幕(広瀬喜六)

後輩:学部一年生の美大生。洒落っ気のない機能性重視の服。顔立ちは中性的で柔和な体つき。身長は決して低くない。髪も伸びなりになっていて、男ならば長いが、女ならば短いくらい。ゴムで後ろにわずかにまとめている。ブルーライトカットの伊達眼鏡をかけている。

先輩:学部三年生の文系学生。カジュアルジャケットを着こなし小奇麗な見た目をしている男。服の割には背が低い。髪もさっぱりとしており、好青年の感がある。社会人向けのカバンなどを持っているが、服装からして大学生であると分かる。

この劇は二人劇であり、二人はカフェのようなところで話している。二人以外の人物は語りのうちに登場するのみである。セットは最低限で十分だが、カフェの机は多量にある。先輩は自らの語をはて言ったか覚えていないかのように、後輩は自らのものでない語をあたかもその場にあったかのように語る。

 

後輩
「旅というのは元来のほぉほぉんとしたものではない。旅立つと言わば、かつてはむまのはなむけし、宿場の手前まで見送りの宴を開いたものである。それもこれも旅というのがまさに険なるを冒すこと、しかり冒険であったからに相違ない。泰西の語にヴォーグラガレーレというのがあるが、まさしくその通り、舟を漕ぐ手を決して休めてはならない。それがたとえ小旅行なるといえども、小旅行なりと油断してはならぬ。そはまさにオデュッセイアの旅路に等しきもの。小旅行を楽しむものは小旅行に楽しまれる。ゆめゆめ忘るること勿れよ。」

田代さんはこう言って演説をぶつと、むっつり黙ってじっと見つめてきた。山手線の緑の列車が止まると、それからふと立ち上がった田代さんはヴォーグ・ラ・ガヘーハとゆっくり唱えて、再び口を開いた。

「時間がないなど言うんじゃないよ。たしかに君は働き詰めだ。大学生なのに。しかしどうということはない。まだ3年目ではないか。まだやり直せる。わかるかね、美しく戯けた学生生活というのは今からでも始めることができる。よしんば君が働かなくては生きてゆかれぬ生物であるとしても、しかしそれは君が恋に恋して恋焦がれ、恋煩いに罹患して、胸の痛みに耐えかねて、麻酔代わりに使い続けているからだ。
ねえ、君にとって仕事は阿片だよ。
身も心も壊してしまう。ねえ、私たちは今旅をしつつある。そうだな、すこしこちらも悪かった。身も心も崩壊寸前の君を、微妙繊細なる調整の必要な旅に連れ出してしまった。これはひどく反省している。しかしいったん銭湯に入って君の人生を立て直そうではないか。風呂というのは滋養すこぶる強く、その効験すこぶるあらたかにして、これを祀るところの社すこぶる多く、浸かればたちどころに傷病ことごとく平癒すとの報告すこぶる多きものなのだよ。健康な人が入るとかえって疲労感を抱く。ほっこりというのはかつてその風呂に浸かってしまった健康なる人の疲労困憊の感を述べたものだった。ねえ、風呂にゆこう。酒を飲む前に風呂につかるというのはさらに有効だ。酒精の力もこれあらたかにして、いとも強し、そこで酒を飲んで風呂に入るとほっこりがすぎる。よって体を温め、血流をよくしてから少しく体を冷まして酒を飲むのだ。すると酒精は適切適当な速度で体を駆け巡りその効験を五臓六腑に染み渡らせる。ねえ、すぐ近くに知っている銭湯がある。ひとまず行こうじゃないか。君、旅の始まりだよ。」

先輩
「んな大げさな。」

後輩
とあなたが漏らすと田坂さんは大きく首を振って歩みを速めた。漏れた言葉はホームから改札階へ向かう階段を流れていってバラストの間にしみこんでいった。

先輩
「だいたいね、僕が働くのは気を紛らわすためではありませんよ。次なる人生のステージ、会社員人生のために、できる限り良い会社へ行こうとするためのステップなんだ。そのためにインターンを三つや四つやるのです。倒れて後に休むのみ。その気概がなくてはゆくべき会社に行くことはできないのです。まったく、あなたの世話焼きも困ったものだ。
それに恋に恋して、なんです、なんだかわからないけれど、恋に現を抜かす余裕がないのでもない。僕だって自分の好みに合うサイドテールの愛らしき方がどこかにいないか目を皿にして探している日だってありますよ。」

後輩
適切な反論をしたつもりだが、田代さんは笑ってまあまあとなぜだかなだめるだけだった。日暮里駅を北口改札で出るとしばらくして左に折れた。あの辺りはわずかに居酒屋もあるが、全く静かな住宅街で、銭湯など見る影もない。

先輩
「銭湯などどこにあるんです。」

後輩
と聞くけれど田代さんはやっぱりまあまあと笑ってなだめてくるだけで、街灯も減り夜の帳が下りてゆくのをすごすごと見過ごしながら歩くのだった。しばらく道を右に左に曲がっていると、あたりは寺があまりに多く墓ばかりが立ち並んでいる。墓場というのは明かりがあるものではないからずいぶん道も暗いものだ。田代さんはおそらく口を開いた。というのは前にいて姿が良く見えなかったからなのだけれど、しかし声がしているからには口も開いていたのだろうと類推した。

「ねえ、墓場というのは妙に穏やかのところだ。それでもってたいそう嫌なものだ。墓場というのは仏の、仏というのはここではつまりお陀仏した人の事を言うのだけれど、つまり仏の、もっと言えば焼いてあるから骸骨のアパルトマンというべきのところだ。生きているうちとて我々は狭いところに安住させられているというのに、それにもかかわらず死んでしまってからも狭いところに安住させられるというのかね。ねえ、嫌なものだよ。
墓場の静けさというのは真に新興住宅街の静けさだね。そこにあるのは死んだ生活というべきもの。イデオローグにいえば疎外された人間の生活だよ。しかしね、生きているうちはそれでもよいやもわからぬと思う事がある。やけに自由を声高に唱えて、自分の居場所という足かせを探し求めていることが、自分という何かよくわからない触ったら壊れてしまうシャボンのような宝物を探し求めていることが、真になすべきこととは存じない。そのようなことをするくらいなら、自分を決して安らかにしてくれはせぬところで生くるがましやもしれぬと思う日もある。まあ、私はどちらも選ばぬがね。
しかし、自分なんていうものは結局否定の道によってしかたどり着けないのかもしれない。君の生き方というのは忙しく生きることで自分というもののその柔らかな泥のようなものを固めて塑像にしようとしているのじゃああるまいや。しかしそんな塑像は手をつくそばから崩れ去ることだろうよ。ねえ。」とひどく酔っぱらったようなことを言うのだけれど田代さんはこれでも酒を飲んでいない。まだ一滴も飲んでいない真性素面のものなのだった。まともに返事をしなくても田代さんは何も言わないでいるのだったから、そのままそうやって真っ暗な寺町をすり抜けていくとようやく明かりと煙突が見えた。そこに来て初めて

先輩
「ああ、銭湯ですね。」

後輩
と声が漏れた。漏れた声はとろりとアスファルトに流れて、銭湯から滴る水滴に吸い取られてしまった。毎日湯は地元に住んでいる貧乏学生と翁たちの集まるところで、田代さんはここによく通っている人だから、あたりの翁に話しかけているのだけれど、全く面白いと思えるものではなかった。田代さんのいつもの口調はなくって学園祭と商店街振興組合を接続させてひと稼ぎしようと考えているあほ学生の様であったから、案外田代さんも凡俗だと思った。田代さんに浴槽の中でもう一度反論を試みた。

先輩
「田代さんね、僕の行動を自分づくりだの阿片だのというのは本当にやめていただきたいものです。決して困憊だってしていませんよ。それは断じて違うというべきです。僕は進むべきところの道がある。そこに向かっては一歩一歩と前進をしているのです。漸進的な前進を全身全霊で進めているのです。」

後輩
 「まあまあ、君はまだ若いのさ。しかしそれも一時の夢だ。少年老い易く学成り難しというが、君は学を修めるというのでもないだろう。学を修めずして、しかも阿呆の踊りに連なることもしない。しかもそうやってして手に入れるものは何かあるのかね。」

先輩
「だから素晴らしい社会人生活を手に入れるためにするのですよ。それに、あなただってまだ若いでしょう。」

後輩
「いや、君はまだ青い。対して私は枯れてしまったよ。」そういうと田代さんは「私は健康な人間だからこの辺りで風呂に別れを告げる。これ以上いるとほっこりしてしまう。君は疲れている。もう少し入っておきなさい。」といって銭湯を出ていった。はたしてのぼせかけて風呂を出ると、駅前の焼き鳥屋で田代さんは先に飲み始めていると連絡があったのを見つけた。駅の北口台地上には数軒だけ居酒屋が固まってあるところがあって、あたかも山上の仙窟の様であった。
そこでは昔なじみの本荘が田代さんに管を巻いていた。田代さんと本荘は同じ大学であり、別の学科だが知り合いであったらしい。本荘とは高校の部活動の知り合った後輩、田代さんとは大学のインカレサークルで知り合った先輩だからこの二人が知り合いというところに少しばかりの驚きを抱かずにはいられなかった。

「ねえ、先輩、私たちの感情は他の動物と異なるところはほとんどないのじゃああるまいかって最近思いいたることがあるんです。モモ塩ください。つまり、それは動物すべてが人のような複雑な思考を有するという意においてではなくて、人間の方がむしろその、単純であるという意においてなんですけどもね。つまり人間の感情がその単純でありなおかつそのことによって豊潤であるように、そこにいるすべてのものの感覚世界というのもその単純さによって豊潤であるのではないかって。砂肝ください。
この間言ったと思うんです、人間はみな一片のタブローに等しいって。それはまあ、鑑賞者としての私の感覚です。ええ、その事なんですけれどね、そのことをこう、考える私の頭に潜むその感性はいたって単純なものではないかと思う事があるんです。えっと、レバーの塩ってありますか、ない、ならタレでいいです。というのは、私が美しいと感じるというのは言葉として美しいと思うのではもちろんなくて、なんとなく有難かったり息をのんだりするような感覚をまとめてとりあえず美と呼ぶわけではないかと思うんですけれど、その言語化を拒みながら言語化を誘い続けるその何者かを私たちは感情と呼びました。ひなネギの塩一本ください。
カテゴライズすることによって我々の感覚を共有できるものにしてしまうためだということができるんじゃないかと思うんです。それも共有するということは全面的な賛同と共感ではありません。共有というのは差異を虚心坦懐に見つめることだと思うんです。似ているからこそ小さな違いに気が付くものだし、違いすぎるからこそ意外な共通点に気が付くものでしょう。ほらこの辺りの国は近くにあって大して変わらないからこそお互いに違うんだって言っていがみ合うわけでしょう。近くって似ているからこそ違いが大きく見えてくる。逆に遠くの国とこの国とを比べると案外近いところがあるなんて思うのはあまりに違うところが多すぎるからですよ。すみません、あの、うな肝ってありますか。タレでいいです。それと、砂肝ください。
話がずいぶんそれますけれどね、何が言いたいかというと、我々は言葉があるから豊潤な感情を持っていると認識するんです。ソシュール的なやつです。モモ塩ください。あと、ひなネギも。本来そこに言語化されていない何か漠然としてないまぜになった靄にかかったような感情や反応やそのすべてがあり、そしてないというべきでしょう。この根源的な何かに何かという名をつけるならば、それはすべての動物に、もしかしたらすべての生物にさえありうるのではないかと思う事がある、そういう話です。すみませんお冷いただけます。我と彼を隔てるものは言葉です。それは言葉の有無が隔てるという意においてではありません。その言葉の力によって分かたれるという意においてです。」田代さんを煙に巻いて管を巻いていると言っても本荘は酒を飲んでいるのではなかった。本荘は成人には未だ成らざるの年であり、酒をあえてして飲もうとは思わぬたちであったからだ。本荘は焼き鳥を好む。塩しか食べないが通ぶっているのではなく、単にたれが嫌いなのだと常に語っている。つまり通ぶっている。

先輩
「やあ、本荘君と会うのはずいぶん久しぶりかな。」

後輩
「おや、先輩久しぶりじゃないですか。ねえ、おそらく、この間の、みんなで旅行したのが最後じゃないかな。それ以来だ。たぶん、そう思いますがね。」
「おや、君たちも知り合いか。個人の生活世界というものは妙に狭いものだねえ。知り合いの知り合いが知り合いであるとは実に愉快だ。」田代さんはすでにずいぶん飲み進めていた。桧のカウンターは田代さんが大海に漕ぎ出だす船であった。田代さんが舟を漕いで大海に出ていこうとするのを本荘が必死にひっくり返してやろうとしているのだった。

先輩
「田代さんは飲みすぎです。それに本荘君、飲まされていないだろうね。」

後輩
「大丈夫ですよ。うちの大学は御宅とは違って阿保学生のノリが少ないのです。ゆえに私は成人になるまで飲むことはないのです。ほかの二人もまだ飲んでいないようですがね。しかし私はまあ、二十歳の誕生日に親と飲みでも致しましょう。それまではひとまず私は飲まぬことにしておるのです。お米少しいただけますか。」本荘は多量に頼んだ焼き鳥を食べ続けた。食べられるのか問うてみると、「コメとあうものです。私の腹はあなたがたと比べて無尽蔵なのですよ。」そう言ってしばらく沈思黙考して、うな肝を眺めていた。「そうだ、知り合いはほとんど山の下で飲んでいるのです。これからそっちへ行くつもりですがね、お二人も行きますかな。」
「私はもうしばらくこちらにいる。君は行くかね。」

先輩
「せっかくだから、行かせていただこうかな。田代さん、失礼いたしますね。」

後輩
「そうと決まれば大将、支払いはこの兄さんがしますから。それでは行きましょう。私の知り合いが集まって親睦を深めようと飲んで居るというのです。まあ、むろん甘々しい雰囲気で飲んで居る人はいないでしょうが。」そう言って本荘は肩をたたいて支払いを押し付けた。「よろしい、君ら二人の分は私が払っておこう。大将、ビールをもう一杯。」

先輩
「ありがとうございます。ごちそうさまです。失礼します。」

後輩
「うむ、また機会があれば。」田代さんはのんびりと飲み続けている。どこに金の当てがあるのだろうと少しいぶかしくもある。墓場を抜けて陸橋を下りると羽二重団子の店のところに出た。日暮里と鶯谷の間はどうにも真っ暗で、本当に居酒屋などあるのかと思義を重ねるけれど、駅のところまでそう遠くはないのだろうと思って納得もした。暗がりの中で本荘はご当地ガイドをしているのだけれど、真偽のほども定かではない話を語るからしまいには閉口せざるを得なかった。「そうだ、この辺りに私はよくいくのだけれど、あまり人の来ているというのではないでしょう。飲み屋もわずかにはあるのです。いいところがこの辺りにありましてね、どうです、あなた焼き鳥屋でほとんど飲んでいないでしょう。陰の者はどうにも酒の力を得ねば人と話すに至れませんでしょうから。どうです、駆け付け一杯飲んでいきなったら。それに私は味噌汁でも飲んで腹を整えてやらなくてはいけません。」そういって本荘は鶯谷あたりの小料理屋の前で足を止めた。仕舞屋のようにさえ見えうる寂れた二階家のガラスの引き戸を引いた。

 

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